「花まつり」(第1回)
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    早速テーマを頂き、ホッとしました。あろえさん、ありがとうございます。では、始めます。

    前の日曜日に、東京の新宿御苑というところを、都内に住んでいる友人と、桜を見ながら歩いた。雨が降り続いていて、花見日和とは到底いえない状態であったが、それにも関わらず沢山の観光客でにぎわっていた。東京で桜を見るには日曜日がラストチャンス、というムードがあったからかもしれない。

    話が脱線しないように、今日のテーマに移ろう。

    主題としては「花まつり」という言葉そのものに焦点を当てて、すこし考えてみたい。言うまでもなく、「花」と「まつり」を合わせて「花まつり」という言葉になるわけなのだが、なぜ人々はこの言葉を組み合わせたのだろうか。ややこしい話になりそうなので、はやい話、「相性が良かったから」だと結論づけたい。ではなぜ、「花」と「まつり」の相性が良いか。自分なりに考えてみたい。

    「まつり」の起源を辿れば、それは穀物の収穫祭あたりからの風習と考えるのが妥当かもしれない。しかし、今となっては、「まつり」=「イベント」と訳したほうが判りやすい。こういうとき、横文字は、とても便利だ。

    「花」はいろいろあるが、まあ、「桜」と訳せば問題はないだろうと思う。春以外に、花まつりから連想する季節がもしあれば教えてほしい。

    「花まつり」=「桜のイベント」かあ。普通だな。

    もう少し踏み込んでみよう。

    「イベント」とは何か。それは一言「非日常」だろう。普段の生活を離れて開放的な気分になれる、その束の間の幸福を、人は「イベント」と呼んでいるのではないかと思う。そして、人は定期的にこの「イベント」を欲している。なぜなら、変わらない日常にうんざりしているからである。世の中に閉塞感を抱いている人ほど、「イベント」の意味は大きいものになる。

    なるほど。

    日常から離れた「非日常」を求めている人々。
    一年のうちの、それも人々の気持ちが揺れ動く春の、ごく僅かな期間、まちを美しく「非日常」に染める桜。

    相性がいいわけである。

    でも、なんだか不純な動機になってしまった。論理というのは、深みにハマると本質を見失いかねない。

    最後に、直感を頼りに書いてみる。

    人と人は、互いに関係し合っている。人と自然もまたしかりである。しかし、その繋がりは目に見えるものではないため、普段は意識していない。そんなときに「桜」が咲く。「あ、久しぶりにあの人を誘って、一緒に桜を見たいなあ。」

    桜が大切な人を思い起こさせる。散りゆく花びらに、あの日の想いを重ねてみる。亡くなった人が、散りゆく一枚の花びらであったなら、人の一生はなんと美しく、はかないものか。

    「花まつり」とは、「大切な人を想う日」だ。

    花は美しく、人も美しい。きれいごとのようで、ほんとは素直な気持ちを、桜は僕たちに教えてくれるのだろう。



    新宿御苑の桜を見ながら、大切な人を想った気持ちを、日記を通じて素直に感じられました。

    山田哲大






    【2015.04.08 Wednesday 06:09】 author :
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    テーマ募集
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      今年度は、読者の方から希望のあったテーマをもとに日記を書きたいです。

      コメント欄に一言、“テーマ「春」”のようなかたちで書いていただければ、そのテーマの数だけ日記を更新します。もし、この日記をご覧の方がおりましたら、是非、匿名で構わないのでテーマをください。宜しくお願いします。

      最後に、お気に入りの言葉をひとつ。

      「科学が証明した唯一のことは、科学では証明できない事柄が存在する、ということである。」生物学者 福岡伸一

      山田哲大
      【2015.04.07 Tuesday 01:26】 author :
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      日本
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        よくわからない動機で日記を一年間書こうと決めたのが、ちょうど一年前の今日である。出来ないことは言わないほうが身のためだと、改めて感じている。

        「恥を知れ」というが、ひとりの人間としての中身の無さを公に晒して、まさに「恥を知った」一年だった。最近の日記と関連づけると、恥を「知って」自分が「変わった」ということになる。無論、全てのものが日々変化しているため、当然といえば当然のことである。これを端的にあらわした言葉が「諸行無常」や「万物流転」であり、まさに日本人の精神は古くから「移ろいゆくもの」を見つめてきた。

        なぜ、そんなことをわざわざ言うのか。それは、僕が学校教育のなかで逆のことを教わってきたからである。人にはみんな「個性」があって、「変わらない」自分がいる。「アイデンティティー」も、その類いの言葉である。無理やりに「自己同一性」などと訳してはいるが、そもそも日本人には馴染みの薄い思想だったわけで、しかし僕らの世代にはなんとなく浸透してしまった。

        これは反省すべきだろう、と思った。なぜなら、そんな学校教育が僕にとって「つまらない」ものだったからである。それで高校まで勉強が嫌いだったが、今は勉強が楽しくて好きだ。

        「日本とは何か」ということを、司馬遼太郎は小説を書きながら自問していたという。これは、決して学校が教えてくれることでもなければ、明瞭な答えが得られる問いでもない。しかし、そこに真に「学ぶ」意味があって、それは「楽しい」から考えるのだと、司馬さんは僕に教えてくれた。

        勉強は、学ぶことは、楽しい。生きていくなかで、苦しいことは沢山あるけれど、花が咲き、鳥がさえずり、風を感じ、月を見れば、ちいさな幸せに気付くことができる。四季折々が、いろんなことを僕に教えてくれるから、日本が好きだ。日本は良い国だと、僕は思う。

        だから僕は、「日本とは、日本人とは何か」と考える。考えることそれ自体が、そもそも幸せなのである。

        では、幸せとは何だろうか。

        あなたが、この文章を受け止めて下さったなら、僕にとっての幸せは、あなたが幸せになることです。

        いきなりパスを投げてすみません。一年間、辛抱強く読んでくれた皆様へ、本当に有難うございました。しばらく勉強したら、また、書きたいと思います。

        山田哲大
        【2015.03.23 Monday 09:59】 author :
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        いまはむかし
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          前回の日記で「昔の自分」という表現を用いたが、「昔」と呼べるほど生きていないだろうと思わずツッコミを入れたくなった人もおられるか。いや、そもそも読者などいないか。

          情報過多といわれる現代社会。4、5年前の自分の日記的なものが未だにウェブ上に残る時代である。その頃の自分とはいかがなものかと覗いてみると、「おい、お前はまだ何もわかっていないぞ」と蹴りを入れたくなった。

          無論、今だって無知は変わらない。けれど、社会に出てみたことによって随分とものごとを見る目が変わったように思う。これも否、人生の先輩諸君にしてみれば「お前が社会と呼んでいるものは社会ではない」と思われることだろう。

          ならば、「知る」とは何だろうという根源的な疑問が浮かんでくる。そして、振り出しに戻った。

          「知る」とは、まさに「自分が変わる」ということと同義ではないか。これは、心の師と勝手に呼んでいる養老孟司さんの言葉を借りているのだが、一番しっくりくる答えである。

          極端な話、昨日の自分すら「昔の自分」なのだ。だから日記を書き留めることにはある種の必然性がある。毎日同じ自分なら、そのとき感じたことは全て覚えているはずで、今の自分でも同じことを感じるはずだからである。

          そして、この日記もまた同様にして、数年後の自分に笑われながら見られている。知ることに、終わりなどないのかもしれないが、それでも最果てを見たいという願望が、大きなモチベーションとして僕を突き動かすのだ。とりあえず、それを「希望」と呼んでいる。

          山田哲大



          【2015.03.20 Friday 00:05】 author :
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          ビタミンカフェ
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            絲山さんのラジオが終わってしまった。なんだか寂しい。

            僕は性根がうしろ向きだから、あえて前向きに努めることが多いのだが、振り返ってみれば沢山の宝物があって、歩んできた道のりの正しさを感じられることを知っている。

            世間もいろいろあるらしいが、春だからといって闇雲に別れることもないだろうに。新しいことを始めるタイミングが春である必要は、当然ながらありはしない。いや、あるのかも知れないが、それは殆ど「気分」的なものの延長ではないかと思う。とはいえ、それは昔の自分にたいしての言葉でもあるのだが。

            だから、僕は毎年4月が憂鬱である。多くの人が、出会いに心を躍らせて浮き足立っているから、馴染めない。

            結論は、「寂しい」の一言に尽きる。と同時に、それは僕に春の訪れを知らせる合図でもある。

            山田哲大

            【2015.03.18 Wednesday 22:43】 author :
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            アイアムサムシング
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              大切なことだから、言葉にならない。ということば。

              山田哲大

              【2015.03.17 Tuesday 02:38】 author :
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                1425735829911.jpg
                「父」という漢字を単体でみると、困り果てた人の顔みたいだと思いました。

                父がいち雄に初来店でした。

                山田哲大
                【2015.03.07 Saturday 22:44】 author :
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                猫ーずLIFE
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                  柴咲コウの月1ラジオが今日、最終回を迎えて感傷に浸りながら聴いている。

                  ああ、春だなあ。

                  山田哲大
                  【2015.03.07 Saturday 18:17】 author :
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                  希望の石
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                    起こってしまったことは仕方がない。その上で、どれだけ自分を成長させられるのかを考える。人生のチャンスは、無限に転がっていて、地に足をつけて歩く者はそれを拾い、磨くことができる。

                    小学生のころ、石拾いを趣味にしていた山崎くんは人から疎んじられていたけど、あのとき山崎くんが拾っていた石はさぞ輝いてみえただろうと思う。

                    きっと、希望とはそういうものだ。

                    山田哲大

                    【2015.03.05 Thursday 20:31】 author :
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                    煙草
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                      成人の喫煙率が1割をきって、煙草一箱2000円くらいまで上がったら喫煙を始めます。

                      山田哲大
                      【2015.02.28 Saturday 01:07】 author :
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