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デラベドバ
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    悩むことと考えることは別物で、あくまで主観的には「考える」という行為に価値を置いている。

    しかしながら、何事においても「考える」ことを良しとするかと云えば、そうとも思わない。

    「考える」は基本的に意識状態だからだ。

    実は、人間というのは「考える」よりも先に身体が動き始めているらしい。動いてみてから、後になって「こう考えて動いた」という意識をはたらかせているのだ。これは科学的に証明されているという。

    だから、「わたしはこう考えて動いた」とはいうものの、殆どの場合は後付けの理由でしかないということになる。しかしながら「よくわかりませんが、身体が勝手に動きだしました」では、ただの変人と思われてしまう。

    意識中心の社会では、「やってみないとわかりません」も通用しない。行動する前から「結果」を予測しろという無茶な話になる。

    あ、先に云うと、この話に別にオチはない。


    では、そういう社会はこれからも続いていくのか。たぶん、そうはならないと僕は思う。みんな、無理をしているからである。

    ならば、いつになれば変わるのか。

    これも、みんな無意識では気付いているだろう。

    「今まさに変わっている」というのが答である。




    「でも、僕(わたし)の生活はいつまで経っても窮屈です。この腐った社会はいっこうに変わりません。」

    という方に宛てて、以後は書きます、(飽きるまで)。


    古くからの日本人の価値観に、「世界を変えたければ自分を変えろ」というのがある。

    この「世界」を認識しているのは、個人の「脳」であり「身体」である。よって、「社会が変わらない」とはすなわち「自分が変わらない」ということではないだろうか。

    「でも、毎日意見の変わる人は信用できません。ある程度、変わらない、ブレない人の方が良いです。」

    という意見もあるかもしれない。これはもっともな意見であるとともに、この論に対する誤解でもある。

    「ブレない人」

    というのは、実は誰よりも「変化」し続けているのだ。

    なぜなら、「社会」は日々刻々と変化しており、それはそのまま自分にも置き換えられるのだが、要するに「ブレない人」を見ているあなた自身も同じように変化していく。「ブレない人」が変わらないように見えるというのは、「変わらないために変わり続ける」人だからなのである。

    持続性を保つためには、微細の変化が絶えず必要になってくる。放置すれば、自然に古くなるのが摂理である。それが「変わらないために変わり続ける」という言葉の意味するところだ。


    あ、なんだか急に、眠たい。

    「変わらないために変わり続けよう」

    以上。

    山田哲大




    【2015.06.12 Friday 03:27】 author :
    | - | comments(2) | - |
    この記事に関するコメント
    周りが変わらなくてイライラしたり、変わらない人を見て安心したり、自分では変わってないつもりで変わっていたり
    何を基準にして変わっているのかどうか判断しているのか
    その基準自体が変わっていないか
    考えて分かる事でもないけれど
    | きんさん | 2015/06/18 7:52 PM |
    考えてもわからないことばかりですが、それでも考えなければ始まらないようなこともありますよね。難しいけど簡単で、曖昧だけど具体的。そんな風に感じます。
    | 山田 | 2015/06/19 9:24 AM |
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