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「夢物語」という言葉について(第5回)
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    第5回を迎えました。ありがとうございます。今回のテーマは「夢物語」という言葉について。


    4月というのは、やっぱり僕にとっては調子が悪い時期で、だいたい6月くらいまで低調が続くため、それこそ「夢物語」を描いて空想にふける余裕は、ほとんどない。そんなやつがよく「幸せ」とか語るよな、と思うだろうが、僕自身は今を「幸せを実感するために必要な時期」と捉えているので話は別なのだ。

    さて「夢物語」という言葉について、そこから連想するのは「理想郷」や「非現実」、もしくは「青写真」、横文字なら「ファンタジー」である。何か空想めいた、フワフワとしたイメージの言葉で、例えば判りやすいところで「2050年までにサッカー日本代表が世界一になる」ことを「夢物語」と呼んでも差し支えはないと思う。

    「それでは、まるでサッカー日本代表が世界一になるのは不可能みたいな言い方じゃないか」と思う人もいるかもしれないが、そうではない。

    話は少し変わるが、織田信長が桶狭間の戦いに勝った理由として「夢でその場面を見た」からだという説がある。いわゆる「正夢」というやつである。僕にはないが、僕の周りにも「正夢」を見たことがあるという人は結構いる。

    つまりだ。「夢物語」も「正夢」になることがあると考えても良いではないか。「明日、目覚めたら大金持ちになっている」みたいな馬鹿げた「夢物語」も、厳密にいえば可能性はゼロではない。まして「2050年までにサッカー日本代表が世界一になる」可能性は、1%くらいはありそうなものである。ちなみに、僕の好きなバスケで日本代表が世界一になれる可能性は、2050年でも0.0001%くらいだろうか。

    話が脱線してしまった。

    それで思い返してみると、10代の頃などは、大人たちからしばしば「夢を持つことが大事」だと言われて育ってきた。この風潮にも賛否両論あるが、無理やり具体的な夢を持つ必要はないにしても、夢というか、ぼんやりでも「イメージ」を描いてみることで、「夢物語」を「正夢」にできるチャンスは生まれやすくなるだろうと思う。当時は「大人はうるさいなー」と思っていたが、あながち間違ったアドバイスでもなかったのかもしれない。

    それでなんだっけ。

    「夢物語」は、描いてみてもいいよね。でもなるだけ「みんなの幸せ」を思って描いた方が、叶いそうな気がするよね。

    ちなみに、僕は小学2年生のときに「将来の夢」について「オリンピックで金メダルを取ること」と答えていた。

    当時の山田少年が描いていた「夢物語」が今後「正夢」になる可能性は低いが、そもそも種目が決まっていないのに「とりあえず金メダル」を狙っている山田少年の威勢の良さといったら、阿呆の極みであった。


    あれから月日は流れ、24歳になった山田青年は、「オリンピックで金メダル」よりも更に阿呆な「夢物語」を描いてしまっている。

    「正夢」はまだ、見ていない。

    山田哲大
    【2015.04.24 Friday 06:47】 author :
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