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いまはむかし
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    前回の日記で「昔の自分」という表現を用いたが、「昔」と呼べるほど生きていないだろうと思わずツッコミを入れたくなった人もおられるか。いや、そもそも読者などいないか。

    情報過多といわれる現代社会。4、5年前の自分の日記的なものが未だにウェブ上に残る時代である。その頃の自分とはいかがなものかと覗いてみると、「おい、お前はまだ何もわかっていないぞ」と蹴りを入れたくなった。

    無論、今だって無知は変わらない。けれど、社会に出てみたことによって随分とものごとを見る目が変わったように思う。これも否、人生の先輩諸君にしてみれば「お前が社会と呼んでいるものは社会ではない」と思われることだろう。

    ならば、「知る」とは何だろうという根源的な疑問が浮かんでくる。そして、振り出しに戻った。

    「知る」とは、まさに「自分が変わる」ということと同義ではないか。これは、心の師と勝手に呼んでいる養老孟司さんの言葉を借りているのだが、一番しっくりくる答えである。

    極端な話、昨日の自分すら「昔の自分」なのだ。だから日記を書き留めることにはある種の必然性がある。毎日同じ自分なら、そのとき感じたことは全て覚えているはずで、今の自分でも同じことを感じるはずだからである。

    そして、この日記もまた同様にして、数年後の自分に笑われながら見られている。知ることに、終わりなどないのかもしれないが、それでも最果てを見たいという願望が、大きなモチベーションとして僕を突き動かすのだ。とりあえず、それを「希望」と呼んでいる。

    山田哲大



    【2015.03.20 Friday 00:05】 author :
    | - | comments(1) | - |
    この記事に関するコメント
    人生の先輩諸君という、あまりにも無礼な表現をしてしまった。失敬。人生の先輩方の誤りです。
    | 山田 | 2015/03/20 12:18 AM |
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