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問いの「善」
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    「なぜ」と疑問を抱くことは大切だよ、とよく言われる。たしかにそうだなと思う。

    一方で、人の行いに対して「なぜ」と問うことは注意を要すると思う。

    なぜなら、人は、多くの場合において無意識に行動しているからだ。

    人によっては、突然「なぜ」と問われると、ストレスを感じてしまうだろう。

    では、人の行いに対して疑問を抱いたときどうすればいいのか。

    答えはシンプルである。

    まずは「なぜあの人はそのような行いをするのか」を自分なりに考え、答えを出すことである。仮説を立ててから問うのである。

    相手に対して配慮もないのに、純粋を装って「なぜ」と問うのは、これはもう「悪意」ではないか(少し大袈裟な表現かもしれないが)。

    「なぜ」と感じるということ自体、相手の行いに違和感を覚えているからであって、もし相手の行いが相手自身に悪い影響を与えるのであれば、それは正しい方向に軌道修正させてあげるべきだ。

    だから、「善とは、悪とは」を突き詰めて考えた上で、相手を「善」に導くために「なぜ」と問うことが大切だろう。

    なぜこんなことを長々と言うのかというと、「揚げ足を取る」手段として相手を問い詰めている人が多すぎると感じるからだ。

    個人的な話をしよう。

    「なんで蕎麦屋じゃなきゃいけないの」

    「なんでお金貯めないの」

    「なんで、なんで」

    僕に向けられる「なぜ」には、「社会をなめるな」「夢が叶うと思うな」「羨ましい、妬ましい」などの負の感情が付きまとっていて、僕はそこらへんに敏感なのである。

    「じゃあ、あなたはなぜ生きているのですか」

    という揚げ足取り合戦をしようとは思わない。せめて、自問を重ねた上で勝負しに来てほしいと思う。

    相手の気持ちがわからないなら、それを怒りや妬みに変えずに、相手のことを一生懸命に考えてみるまでだ。

    きっと答えは、心の奥深くに用意されている。辿り着こう、そこまで。

    山田哲大
    【2014.10.22 Wednesday 22:11】 author :
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