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愛の距離
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    親からの愛を、自立、または離別してから気付くというのはよく聞く話である。

    言い換えれば、それまで与えられ続けていた無償の愛に気付くことができなかったということである。

    これは、そのまま恋愛にも置き換えられる。

    毎日会っている相手と、あるとき急に会えなくなるという状況になって初めて、なにか虚しくて、胸を締め付けられるような気持ちになり、そして気付くのである。

    「彼(または彼女)に会いたい」



    一方で、別れてから未練タラタラになる人(過去の自分含む)の大半は、過去の思い出と、「あの頃の自分」を美化して、過ぎ去った愛の虚像をいつまでも追い続けるのだ(なんとも醜く、憐れな姿だなと実感する。)

    やはり愛と距離には、深い関係性があるようである。


    たとえばだが、顕微鏡でミドリムシの細胞を観察するにも、レンズを選び、適切な距離をはかること「ピントを合わせること」が重要になるが、対人関係や、「愛」などにおいても、要するに顕微鏡と同じことなのだ。


    そんなことを平気でぬかしている僕だが、小学生の頃、理科の実験でミドリムシの細胞を確認することができず、以来、理科が嫌いになってしまった。そしてそのことが、他者との距離感がつかめずに失敗してしまった過去に重なるのである。

    愛と、距離と、ミドリムシ。

    みんなおんなじだ。

    正しくピントを合わせること。

    プレパラートは割らないように気を付けて持つこと。

    見えるまでは、忍耐強く待つこと。



    愛が、見えてくる。

    山田哲大





    【2014.10.05 Sunday 05:22】 author :
    | - | comments(2) | - |
    この記事に関するコメント
    自分の愛している人が自分のことを愛し、今、隣に、目の前にいる幸せを忘れないということは難しいことですよね。
    僕も自分の気持ちを重ねて読ませて頂きました。
    | bono | 2014/10/05 5:21 PM |
    今回、幸せについてはひとつも言及していません。
    | 山田 | 2014/10/05 7:08 PM |
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