誕生(最終回)
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    ご無沙汰しておりました、山田です。実は、6月いっぱいでいち雄を退職しまして、報告が遅れてしまったことを、この場を借りてお詫び申し上げます。

    さて、僕は前回の日記にて「3月で卒業」と声高らかに発表しておりましたので、6月で退職したというのは、すなわち嘘をついたことになります。嘘はよくないですね。反省しております。

    しかしながら、釈明ではありませんが、気持ちの上では、いち雄の仲間として、今後も恩返しができればと思っています。

    その第一歩として、東京の「かんだ藪そば」さんにて、働かせて頂くことになりました。名門中の名門です。

    「藪そば」で働くことが、いち雄に対する恩返しというのは、一見すると論理飛躍かと思われますが、僕が世界一の蕎麦屋になったときにこそ、その意味が生まれてくるのだろうと思っています。

    どんな言葉にしても、皆さま、そしていち雄への感謝の想いは伝えきることは出来ません。

    あとは行動のみ、という態度は、マスターや大輔さん、ひいては我が両親の背中を見て「見習い」をした結果として身に付いた僕のストロングポイントだと自信を持って言えます。

    皆さまとのご縁も、こうして巡り会えたことを考えると、簡単に切れるものではないような気が致します。勿論、僕の行動が「裏切り」というかたちに映る可能性は否定出来ませんし、どのように感じて頂くかは自由です。

    長くなってしまいました。

    僕は自分のために、人生を選択します。

    結果として、それが他者の幸福に繋がるならば、僕としてもこの上ない喜びになります。

    24歳がくそ生意気なことをほざきましたが、そういうわけで今後とも、永遠の「見習い」山田哲大をよろしくお願い申し上げます。

    最後に、タイトルの「誕生」その意味は、両親への感謝を表したものです。両親のもとに生まれなければ、こんなに素晴らしい人生を歩むことは出来ませんでした。ここで言うことではないかも知れませんが。それでも、皆さまにこそ伝えたい気持ちでもありました。

    最後まで、まとまりませんが、本当に有り難うございました。いち雄、最高でした。

    山田哲大
    【2015.07.15 Wednesday 02:18】 author :
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    余談3
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      NHKのローカルニュースにちょっと出ました。

      いつもお世話になっている精肉店さんだったので協力した形ではありますが。ネタになったから良し。

      山田哲大
      【2015.06.24 Wednesday 20:34】 author :
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      「希望」(番外編)
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        これから、いち雄は大きく変わります。

        ただ、それぞれの想いは変わりません。

        変わりゆく中で、それでも変わらない僕たちを見届けていただけると幸いです。いや、あなたがいてくれてこそ僕たちは動き出すことができます。

        僕は、世界一の蕎麦屋になるためにいち雄に入りました。

        世界一の蕎麦屋のルーツは高崎市の「いち雄」だったと、そんな風に誇りに思えるお店であってほしい。

        来年の3月で僕は卒業します。

        そのあと長きに渡って、いち雄の歴史がより素晴らしいものになるように、全力を尽くします。

        いち雄が僕にくれた「希望」を、倍にして返そうと思います。僕の本気は、すごいですからね。

        というのは半分冗談ですが、できれば、みなさんと一緒に変われればと思います。それでは、あとは行動で示すのみですので。

        山田哲大
        【2015.06.21 Sunday 06:21】 author :
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        デラベドバ
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          悩むことと考えることは別物で、あくまで主観的には「考える」という行為に価値を置いている。

          しかしながら、何事においても「考える」ことを良しとするかと云えば、そうとも思わない。

          「考える」は基本的に意識状態だからだ。

          実は、人間というのは「考える」よりも先に身体が動き始めているらしい。動いてみてから、後になって「こう考えて動いた」という意識をはたらかせているのだ。これは科学的に証明されているという。

          だから、「わたしはこう考えて動いた」とはいうものの、殆どの場合は後付けの理由でしかないということになる。しかしながら「よくわかりませんが、身体が勝手に動きだしました」では、ただの変人と思われてしまう。

          意識中心の社会では、「やってみないとわかりません」も通用しない。行動する前から「結果」を予測しろという無茶な話になる。

          あ、先に云うと、この話に別にオチはない。


          では、そういう社会はこれからも続いていくのか。たぶん、そうはならないと僕は思う。みんな、無理をしているからである。

          ならば、いつになれば変わるのか。

          これも、みんな無意識では気付いているだろう。

          「今まさに変わっている」というのが答である。




          「でも、僕(わたし)の生活はいつまで経っても窮屈です。この腐った社会はいっこうに変わりません。」

          という方に宛てて、以後は書きます、(飽きるまで)。


          古くからの日本人の価値観に、「世界を変えたければ自分を変えろ」というのがある。

          この「世界」を認識しているのは、個人の「脳」であり「身体」である。よって、「社会が変わらない」とはすなわち「自分が変わらない」ということではないだろうか。

          「でも、毎日意見の変わる人は信用できません。ある程度、変わらない、ブレない人の方が良いです。」

          という意見もあるかもしれない。これはもっともな意見であるとともに、この論に対する誤解でもある。

          「ブレない人」

          というのは、実は誰よりも「変化」し続けているのだ。

          なぜなら、「社会」は日々刻々と変化しており、それはそのまま自分にも置き換えられるのだが、要するに「ブレない人」を見ているあなた自身も同じように変化していく。「ブレない人」が変わらないように見えるというのは、「変わらないために変わり続ける」人だからなのである。

          持続性を保つためには、微細の変化が絶えず必要になってくる。放置すれば、自然に古くなるのが摂理である。それが「変わらないために変わり続ける」という言葉の意味するところだ。


          あ、なんだか急に、眠たい。

          「変わらないために変わり続けよう」

          以上。

          山田哲大




          【2015.06.12 Friday 03:27】 author :
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          余談2
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            タイトルだけ見て考えてみても価値のある本が出ました。

            山田哲大
            【2015.05.29 Friday 22:37】 author :
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            余談
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              余談ですが、中学の同級生が日本の陸上競技会で優勝した。種目は十種競技で、日本歴代2位の好記録での優勝。

              ロンドンオリンピックにも出ているがそのときは専門外の400障害。リオはぜひ専門の十種で出てほしい。

              中学時代は駅伝部の仲間として切磋琢磨した存在であり、大いに刺激を受けていることは言うまでもない。とりあえず、榛名湖フルマラソンを完走しようと思います。

              山田哲大
              【2015.05.07 Thursday 01:25】 author :
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              「夢物語」という言葉について(第5回)
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                第5回を迎えました。ありがとうございます。今回のテーマは「夢物語」という言葉について。


                4月というのは、やっぱり僕にとっては調子が悪い時期で、だいたい6月くらいまで低調が続くため、それこそ「夢物語」を描いて空想にふける余裕は、ほとんどない。そんなやつがよく「幸せ」とか語るよな、と思うだろうが、僕自身は今を「幸せを実感するために必要な時期」と捉えているので話は別なのだ。

                さて「夢物語」という言葉について、そこから連想するのは「理想郷」や「非現実」、もしくは「青写真」、横文字なら「ファンタジー」である。何か空想めいた、フワフワとしたイメージの言葉で、例えば判りやすいところで「2050年までにサッカー日本代表が世界一になる」ことを「夢物語」と呼んでも差し支えはないと思う。

                「それでは、まるでサッカー日本代表が世界一になるのは不可能みたいな言い方じゃないか」と思う人もいるかもしれないが、そうではない。

                話は少し変わるが、織田信長が桶狭間の戦いに勝った理由として「夢でその場面を見た」からだという説がある。いわゆる「正夢」というやつである。僕にはないが、僕の周りにも「正夢」を見たことがあるという人は結構いる。

                つまりだ。「夢物語」も「正夢」になることがあると考えても良いではないか。「明日、目覚めたら大金持ちになっている」みたいな馬鹿げた「夢物語」も、厳密にいえば可能性はゼロではない。まして「2050年までにサッカー日本代表が世界一になる」可能性は、1%くらいはありそうなものである。ちなみに、僕の好きなバスケで日本代表が世界一になれる可能性は、2050年でも0.0001%くらいだろうか。

                話が脱線してしまった。

                それで思い返してみると、10代の頃などは、大人たちからしばしば「夢を持つことが大事」だと言われて育ってきた。この風潮にも賛否両論あるが、無理やり具体的な夢を持つ必要はないにしても、夢というか、ぼんやりでも「イメージ」を描いてみることで、「夢物語」を「正夢」にできるチャンスは生まれやすくなるだろうと思う。当時は「大人はうるさいなー」と思っていたが、あながち間違ったアドバイスでもなかったのかもしれない。

                それでなんだっけ。

                「夢物語」は、描いてみてもいいよね。でもなるだけ「みんなの幸せ」を思って描いた方が、叶いそうな気がするよね。

                ちなみに、僕は小学2年生のときに「将来の夢」について「オリンピックで金メダルを取ること」と答えていた。

                当時の山田少年が描いていた「夢物語」が今後「正夢」になる可能性は低いが、そもそも種目が決まっていないのに「とりあえず金メダル」を狙っている山田少年の威勢の良さといったら、阿呆の極みであった。


                あれから月日は流れ、24歳になった山田青年は、「オリンピックで金メダル」よりも更に阿呆な「夢物語」を描いてしまっている。

                「正夢」はまだ、見ていない。

                山田哲大
                【2015.04.24 Friday 06:47】 author :
                | - | comments(0) | - |
                「幸せ」(第4回)
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                  第4回は「幸せ」について。

                  (前回の「運命」が、かなり重たい話になってしまったので、もう少し判りやすく書きたいなあと反省した。それで、見えない読者を前に「判りやすさとは何ぞ」と自問してみたが、それがまたよく判らなくなってしまったので、なるべくシンプルに書くことだけ、少しばかり心がけたい。)


                  「幸せ」という、なんとも不可思議な言葉がある。「楽しい」でも「嬉しい」でもなく「幸せ」。ともすると、「幸せ」になりたいと願うあまりに、「幸せ」という言葉自体に翻弄されてしまいそうである。

                  では早い話、どうすれば「幸せ」になれるのだろうか。今回はこの問いに答えたい。誰も訊いてないけど。

                  答えは簡単で、「幸せだな〜」と口に出して言えば良い。できれば仏のように穏やかな顔で、天を仰ぎながら言うと、たちまち「幸せ」になれること請け合いである。

                  そんなの馬鹿げていると思われるかもしれない。でも、「幸せ」なんてそんなものなのだ。目の前にありすぎて、逆に見えなくなってしまっているというわけである。その意味では「親の愛情」とよく似ている。

                  そんな恥ずかしいことはたとえ一人でもできないという方にはぜひ、少し遠出してでも「森林」に行って、なにもしなくていいから15分くらい滞在してみて頂きたい。普段、都会に暮らしている方などは、思いも寄らない体験ができるかもしれない。

                  以上は僕の実感であり、科学的な根拠とかはない。

                  ここらへんで個人的な話をすると、群馬に来て三年くらい経ってから、僕は「温泉」にハマった。前の日曜日も、草津温泉に行ってきたばかりだ。これが日常になっているので、温泉に対して特別な思いはないが、自然が豊かな場所にいると、なにもしなくても気持ちが楽になるのだ。これは論より証拠で、行ってみれば判る話である。

                  で、少し話を戻すと、まちに暮らして、一日中ビルの中で仕事をしている人にとっての生活は「人間関係」が大きな比重を占めていて、「人」のやさしさに触れて「幸せ」を感じる一方で、「人」との関係がギクシャクすると、たちまち「不幸」になってしまう。だから「花鳥風月」を大切にしましょうよ。ということである。

                  そうすると、どうなるか。

                  まず「人」との関係に変化がでてくる。これまでは職場の人間関係の話に終始していたのが、「旬の野菜がなんだ」とか「あそこで鳴いている鳥は珍しい」とか、そういう話になってくる。

                  すると、自分は一人で生きているんじゃない、ということまで判ってくる。だから、人やものに対してやさしくなれる。

                  と、ここまで来るとまた訳の判らぬ方向に話が飛びそうなので、今日はこの辺りで締めておきたい。

                  最後に、草津温泉や、伊香保温泉に行く際は、できれば車がオススメです。田舎の風景を横目に温泉地まで向かえば、きっと素敵なものに出会えます。それが何かは、それはもう「論より証拠」ってことです。

                  山田哲大
                  【2015.04.16 Thursday 05:24】 author :
                  | - | comments(4) | - |
                  「運命」(第3回)
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                    おはようございます。第3回は、きんさんから頂いたテーマ「運命」について。

                    端的にいえば、僕は「運命論者」である。どういうことかというと、つまり人生は始めから全て決まっていて自分で決めることはできないと思っている。なぜそう思うに至ったか。それは、「自分」という概念をあるときから疑い始めたからである。「選択の科学」とか「ジルボルトテイラーのパワフルな洞察の発作」の話をテレビ番組で視たときに、こういう話が世界の大学でも語られているということを知って、日本の文化を今一度見つめ直したいと思ったのが大学三年の終わり頃で、それがちょうど「いち雄」に入った時期であって、この「運命」的な出会いについては、話せばキリがないので今回は割愛させていただく。まあ、そもそも動機はなんでもいいか。

                    僕のような人間がいる一方で「すべては自分が決めている。人生の責任は自分にある。」と思っている人もまた、多い。だが考えると、生まれることを自分で選んだわけではないし、死ぬタイミングを自分で決めて、それを実行することは善くないこととされている。話が極端かと思われるかもしれない。例えば、就職先を決める。これだって、自分で決めたというより、「流れ」みたいなものでそこにいると考えた方が自然な場合がある。「縁」という言葉も人生が語られるときによく使われるが、「縁」を自分で決めることなんて出来ないだろう。だから尊ばれるのだ。

                    しかしながら、大抵の人は「運命論」と「自己決定」を器用に使い分けていて、僕はそれでいいと思っている。ときには「運命」といい、ときには「自分の責任」という。それが普通に生きていく術だろう。僕も大げさに「運命論者」とか言ってみたが、すべてを天命に任せているわけではない。勿論だが。そのことを表す丁度良い言葉があった。

                    「人事を尽くして天命を待つ」である。

                    やるだけやったら、もう後は「運命」なりなんなりにお任せである。自分の力の及ばない範囲は、仕方がない。

                    それから、「運命」を信じてみると、人生はより「自由」になる。これは断定してもいい。すべてが決まっているから、自由になれるのである。一見矛盾した物言いに聞こえるかも知れないが、つまり何をしても、もともと結果は同じなんだと思えれば「楽」ではないか。だから、無理をしなくてもよくなる。まあ、これを素直に聞き入れてくれる人は少ないが。

                    最後に、24歳の僕が、なぜこんな爺臭い文章を書いているのかというと、それは紛れもなく「養老孟司」の影響である。古本屋で、10円で買った「バカの壁」が、自分を変えるきっかけになるなんて、そのときは思ってもみなかった。今振り返ってみればあれもまさしく「運命」の出会いだった。この話も、またいつか出来ればしたい。

                    総括としては「運命」って、ロマンがあっていいよねっていうことです。

                    そんな雑な終わり方で第3回を締めます。なぜなら、眠いからです。申し訳ありません。また、ペースが良すぎて自作自演かと疑われそうなテーマ募集の件ですが、今後もどしどし受け付けますので。ぜひ。

                    山田哲大

                    【2015.04.13 Monday 08:39】 author :
                    | - | comments(2) | - |
                    「晩婚」(第2回)
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                      第2回はしばらくやって来ないだろうと思っていましたが、えんどうさん、どうもありがとうございます。本日は「晩婚」について考えます。

                      先に申し上げると、僕、「結婚、恋愛、異性」の話題に関しては、論ずるのが、とても苦手である。「愛」とか、そういうことを今まで結構語ってきて、今更いうかと思われるかもしれないが、苦手なのだ。なにしろ、恥ずかしい。結婚に関しては、最近は、考えても仕方がないから、考えない。結局、なるようになるし、なるようにしか、ならないのだ。

                      なんだっけ。そうだ「晩婚」だ。

                      「晩婚」とか、いつ頃から言われるようになったか、判らない。なにしろ、未だに結婚に対するリアリティーがなさすぎる。あと10年すれば、少しは身近な話題になるかもしれない。一般的に、女性の社会進出による「晩婚化」云々と言われているが、本音はどうだろう。参考にはなるが、そういう因果関係は、鵜呑みにしては危ないなと思う。まあ、結婚に早い遅いがあるのかすらよく判らないのだから「晩婚」とは困った言葉である。

                      「晩婚」…フワッとした言葉だなあ。

                      すぐ「言葉」自体に焦点を当ててしまうのは、僕の悪い癖なのだが、この「晩婚 」という言葉には、誰かの思惑のようなものを感じてしまう。そもそも、遅い結婚=ネガティブなイメージを持っていることが変じゃないか。

                      そう思うと、世の中、変なことだらけなのだ。

                      「世界は言葉でできている」というテレビ番組がたしか以前やっていたが、とんでもない。これまでも何度か述べてきたが、ほんとに大切なことは「言葉にならない」というのが僕の立場で、人の言葉なんて「屁」みたいなものだと思うことにしている。

                      そういうわけで「晩婚」というのは、まあ大した問題ではないというのが結論です。

                      それから、「言葉」が信用ならないというのは、実は結構みんな感じてきているところだと思う。震災の後のことを、ちゃんと覚えているからである。

                      それ以上は、言わない。

                      山田哲大

                      【2015.04.11 Saturday 07:11】 author :
                      | - | comments(2) | - |